5月第2週目は、母の日ですね。日頃からの母の労をねぎらい、感謝を表す日となります。
毎年、母の日には、感謝の気持ちをこめ、ちょっとしたプレゼントを贈っています。気に入ってもらえているかは分かりませんが…。
その母の日ですが、なぜ5月の第2日曜日なのか?どうやって決まったんでしょうか?
この母の日について調べてみました。
母の日の由来
日本は、戦後の1949年(昭和24年)ごろより、アメリカに倣って5月第2日曜日に行うようになりました。
それまでの母の日というと…。
1913年(大正2年)に青山学院にて、母の日礼拝が行われました。これは、アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時の青山学院の女性宣教師たちの働きかけによるものです。
また、大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成され、皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を母の日としました。これは、普及しなかったようです。大日本連合婦人会とは、戦前の文部省系の女性団体です。地久節とは、皇后の誕生日の旧称です。
1936年(昭和11年)には、お菓子メーカーの森永が各団体に協力を呼びかけ、「母の日中央委員会」を設立し、翌1937年(昭和12年)5月8日に第1回「母の日大会」(森永母を讃える会主催、母の日中央委員会協賛)が、豊島園にて開催。その後、戦争による中断をしましたが、1947年(昭和22年)に再開。
そして、1949年(昭和24年)ごろより、5月第2日曜日へとつながっていきます。
日本の法律では5月5日が母の日?
5月5日こどもの日ですが、法律上にて以下のように定められています。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日です。(祝日法2条)
出典:e-Govウェブサイト(https://www.e-gov.go.jp)
こどもの日って、母に感謝をする日でもあるんですね。
名称も「こどもの日」ですし、この日は「母の日」にはならないです。しかし、感謝は忘れない様にしたいですね。
アンナ・ジャービスと、アメリカでの制定
アンナ・マリー・ジャービスという一人の女性が、母の日の休日を作りました。
母親であるアン・マリー・リーヴス・ジャービスは、社会活動家で、独立戦争時代のコミュニティ組織者でした。母の日ワーク・クラブを始め、健康衛星条件を改善していきます。アンナ・ジャービスは、活動的な協会メンバーとして加わり、母とのつながりを保っていきます。
母アンを亡くした3年後の1908年5月10日の礼拝にて、500の白いカーネーションを寄贈し、この日の重要性を唱えます。
アンナの働きかけにより、母の日は多くの市や州で祝われるようになり、1914年に当時のアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンにより、公式に5月第2日曜日を母の日とし、アメリカの記念日となります。
母の日にすること
母の日と言えば、プレゼントを贈ったり、感謝の言葉を伝えます。気持ちがこもっていれば、なんでもいいと思います。
アンナ・マリー・ジャービスは、母の日を「母親と過ごし、母親のしてくれたことに感謝するための日」と考えていました。この趣旨を考えれば、特別な何かというわけではなく、感謝しながら手作り料理で一緒に過ごすだけでも、よいひと時になりますね。
忙しい世の中です。ゆっくり語る事も出来ない状況もあると思います。毎日は出来なくても、この日だけはゆっくりするのはいかがでしょうか。
カーネーションのプレゼント
定番としては、カーネーションを贈ります。
カーネーションの花言葉は、無垢で深い愛。
- 白:純粋な愛
- 赤:母への愛
- 桃:女性の愛
- 青:永遠の幸福
- 黄:軽蔑
- 紫:誇り
- 濃赤:私の心に悲しみを
母の日のカーネーションは、色により意味が違ってきます。
- 母が健在な場合は、赤いカーネーション。
- 母が亡くなっている場合は、白いカーネーション。
カーネーションは、色により花言葉の意味が違ってきますし、母の日としても意味がありますので、注意が必要です。
配慮して、喜んでもらいましょう。